高山莉加、涙を乗り越え銀メダル獲得 「恐怖を感じながらも勝利」
2024年パリオリンピックの柔道混合団体戦で、日本代表はフランスに敗れて2大会連続の銀メダルを獲得しました。その中で特に目立ったのが、女子78キロ級の高山莉加選手(29)です。彼女は個人戦での悔しさを糧に、チームに貢献しました。
フランスとの決勝戦
決勝での高山選手の相手は、今大会の1階級上の銅メダリストで、身長も体重も上回る強敵でした。「めちゃくちゃ怖かった」と振り返る高山選手は、試合中に帯を持ち上げられ場外に運ばれる場面もありましたが、恐怖に屈せずに果敢に挑みました。再び持ち上げられそうになった瞬間、足を刈って体を預けて畳に叩きつけ、見事に技ありを奪いました。会場は静まり返り、高山選手は残り時間を必死に耐え抜きました。
涙と共に成長した日々
宮崎県都城市出身の高山選手は、小中学生時代に隣接する鹿児島県の道場に通い、200本の投げ込みをこなしながら「道場一の泣き虫」として知られていました。指導者の西郷昌隆さん(54)は「泣いた分だけ強くなれ」と励ましました。
中学2年で全国8強に入った高山選手は、鹿児島南高時代には寝技を操る先輩に転がされて涙を流すこともありましたが、3年生になると寝技を磨き上げました。卒業後は三井住友海上に入社し、多くのメダリストを輩出する中で五輪を目指しましたが、東京大会では先輩の浜田尚里選手(33)が金メダルを獲得し、高山選手は苦しみました。
挫折を乗り越えて
「自分には価値がない」と何度も感じた高山選手は、「やめる」と口にする度に所属先の上野雅恵監督(45)から「こんなところで諦める人になってほしくない」と励まされました。何とか踏みとどまり、パリ五輪にたどり着きました。個人戦では3位決定戦で敗北し、涙が止まりませんでしたが、「手ぶらでは帰れない」と決意し、団体戦で全4試合に出場しました。
銀色の輝き
高山選手が通った道場には「捲土重来」の文字が掲げられています。かつては意味を知らなかったその言葉が、今の高山選手にはぴったりだと感じています。「銀色だけど、めちゃくちゃ輝いているメダルです」と語る彼女の胸元で、流した涙と努力の結晶が光り輝いていました。